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降伏後、彼は魏の領地で貧しい村をみかけて、蜀宮の花の栽培方法を伝授し、救ったという逸話もある。その村には、いまだに彼を称える石碑や「阿斗」の名のつく場所がある。根は悪い人じゃないけど、戦乱の世の君主には不向きだったんだろうなあ。
逆が曹操かな?
子供を投げるのは劉氏の伝統芸
きっと、阿斗ちゃんも投げ捨てられて、打ちどころが悪かったから・・・
劉邦も捨ててるよね~
@@日常ポロネーズ 劉氏の末裔を強調したい演義の脚色のような気がします
故郷のことを尋ねる話は、蜀のことが懐かしいと言えば謀反の疑いをかけられて殺される可能性もあった訳だし、むしろ無能を演じて無害アピールをするのは大事だった、っていう解釈はなるほどなと思った
腹心との密談が筒抜けてチョーヤバイ
わりと有名な説ですよなそれなにしろ蜀の帝位を継いだとき、曹丕を思いっきり糾弾する文書を送ってるから、降伏したところで下手なこと言えば自分の身も危ないですし、馬鹿扱いされるのも劉禅なりの処世術だったのかも…
司馬懿がボケを演じた様に、劉禅はバカを演じたのかな?
しかもこれ現代でも定年退職してる年齢だからね... ちょっととぼけた好々爺を演じるのはわかるし偉いよね
本当に「演じた」のでしょうか?個人的には、あれは演技などではないと思う。寧ろ本当に蜀の地に愛着などなかった。というより、「自分は負けて国を失ったんだから、勝った側の意向に従う」という、完全なる恭順の意思を示したように思えるのだが。どう考えたって劉禅は文王司馬昭の前で韜晦できるような器ではないし、仮に無能を演じたところで、所詮はバレバレだったのではないかと。蜀漢討伐以前の段階で鍾会の野望を見抜いて、しかもその後の成り行きまでほぼ正確に予見していたほどの男が、どうして宴席で亡国の暗君の小賢しい演技を見抜けないはずがあろうか。また、亡国の君主でありながら己の前で韜晦するような輩であれば、それこそ魏や晋にとって危険人物であり、かつて皇帝さえ弑殺した男がそのまま無事安泰に余生を過ごさせることがあろうか。
自分を無能だと理解している人間は自分を天才だと思っている人間よりも遥かに偉い。
@oi ran 本当に天才ならな。荀子さんは「自分を天才だと思っている人間」と言っているんだ。自分を天才だと思っている無能だったら目も当てられないと言う訳だ。
@@Claude_Beaumont 多分そういう感じの事でしょうね
たしかに、王莽さんみたいに行動力があると酷い事になったからね
サンキュー偉人
劉協「せやな」
暗君ではあるんだろうけど、別に大虐殺を行った訳でも重税を課して民を飢えさせた訳でも無いので、親父が偉大過ぎなければそこまで言われなくても良かったと思う。
偉大な父親の二世として期待されながらも周囲から「あっコイツ、ダメだわ…」って思われているストレスフルな状況の中で、本人は苦しんでいる様子が無く天寿を全うしているのは見方によっては凄い才能では?「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」というくらいだし、孔明が頭を奪わずに劉禅が頭になっていたからこそ続いた40年間だったんだろうと思います。
三國志演技は飽くまでも小説後世に人気高く有名な人物が活躍し、その他の人間は割り食ってばかりいる漢帝国歴代どころか中国全皇帝の中でもトップから数えられるほど長い在位期間をほこる長命皇帝なんだよな
いくら今の四川省・重慶市とその一部周辺地域だけの地方政権だったとは言え、日本よりは広かったし、人材不足だったから司馬氏みたいに皇帝を操り人形にして実権を握ろうなんて野心を持っていたのもそんなにいなかったというのもあったのでしょうが、ただの無能では絶対40年も皇帝なんか務まらないですよね。劉禅はそこまでは酷くなかったと思います。
その後の「八王の乱」等の大国滅亡後の小国乱立による混乱を見ると、劉禅みたいに「自分は退位して降伏するけどその後に野心も抱かず、旧領の住民が安寧に暮らせるようにひたすら臣従をして秩序を守る」という姿勢はむしろ近代ヨーロッパ的君主像に近い気がするんだけどな・・当時の領民としては圧倒的名君じゃない?
久しぶりに霊夢のテンションがおかしいwwちなみにコーエーの劉禅ステータスは、統率.武力.知力.政治 3.5.9.4(さん/ご/く/し)の語呂合わせだから…
@@垢抜けた鬼子供 突出して悪いとこもない。まさに紙一重
劉禅が暗君という評価は仕方ないけど、呉や晋の皇帝に比べれば随分マシだと思うよ
初代はみんな凄かったのに世代重ねるとどんどんアホ化が進む
長い中国の歴史、劉禅より酷かった君主だっていくらでもいます。蜀が滅んだのもそもそも魏に勝つ事なんてムリゲーだった。今の四川省・重慶市とその周辺地域の一部だけが勢力範囲の地方政権だったとは言え40年も皇帝やれたのだし、姜維の暴走を止められなかった事等はマイナス点でしたが、まあしょうがなかったでしょう。
例えが適切かどうかは分からないけどテストで40点未満を赤点とした場合劉禅は39点の赤点で呉や晋の皇帝が10点〜20点の赤点なんだよな。ただもうちょっと頑張れば及第点も視野に入ってたのに残念だなー、って感じ。晋や呉の皇帝は先生が見捨てるレベルですが
自分が父親ほど能力はないの分かってて、ゆっくりしてるから周りから軽んじられてるけど暗愚って程でもない感じの三國無双6以降の劉禅が一番ちょうど良いキャラだと思う。
劉禅は無能というより英傑ではないただの凡人ってイメージのが強いなぁ
これが一番しっくりくる
才乏しい身であることを自覚し、自分なりに精一杯時代にあがいた凡人
まだ無能な怠け者だから神輿で担ぐには良いが本当に悪夢は孫皓みたいに中途半端に才能あっても裏目に出て無能な働き者になるのが
中国人のアイデンティティである漢存続のチャンスをフイにしたから必要以上にsageられてる感はある。しかし、あの状況ではよほどの名君じゃない限り、孔明丸投げ以上の結果と変わらず、結末は一緒になると思う。
@@あい-c7o1s 五胡十六国時代みたいに北方民族ヒャッハーで魏帝国に侵入してガラガラポーンにならない限り蜀漢も孫呉もダメとしか
諸葛亮→董允→陳祗の優秀な人が劉禅を支える流れが途切れたため黄皓の専横が始まったから陳寿の評価は本当に的を得ていると思う。
的は「射る」もの。「当」は得るものw
@@sepa3435 へーそうなんだ、教えてくれてさんくす。
三国で一番国力の低かった蜀を四十年もたせたということは結構凄いことかと。自分では積極的に動かないですが名臣でもその人を信頼して全部任せるには度胸が必要ですし。そもそも後の五胡十六国や南北朝のおかしな皇帝達に比べれば人格も能力も遥かにましです。
昔のイメージ→劉禅はあほ様。今の認識→魏の曹氏や呉の孫氏の自滅ぶりが酷すぎて劉禅が一番まし。
今川氏真「つまり武田勝頼や北条氏直よりマシ」
@@どらやき-z1w いや、本当にそうなんですよね魏も呉も酷い結末ですからね今川氏真だって子孫きちんとのこしてますからね
@@どらやき-z1w 掛川城で頑張ったから援軍も無い籠城戦で裏切り者も出さずに生き延びたから
責任を担う能力がないから、責任を負わせようという人間が誰も居なかった。そのため、責任を背負った人間よりも背負わない人間の方が「幸せ」に暮らせたわけだが…。それで得た「幸せ」に意味があったか…。というのが論点になりそうな話ですね。とりあえず、「劉禅が一番まし」であるというのならば、働きもせずにゴロゴロして酒飲んでるオッサンやオバチャンが世の中に増えていくという世俗の価値観になっている訳で、そういうのが世の中で蔓延るなら、家でゴロゴロして酒を飲んでいる間に世の中が誰かが何かしてくれるゲームが流行るんですかね…。魏の司馬氏を初めとする家臣を上手く使いこなすゲームとか、呉の二宮の変のような分裂要素を防ぐゲームの方が(辛いかもしれないですが)個人的には有意義に見えますが…。
つまりやる気にあふれて家臣や後継者を殺しまくる君主は素晴らしいと
よくいる再評価厨みたいに「劉禅は有能!」とか言わなくてホッとしたわすごく的確な評価をしてると思う
ドラマの三国志で、趙雲が劉禅を抱いて戦いながら振り回して、最後にとどめとばかりに地面にたたきつけられたシーンを見て「馬鹿になったのこれが原因だろ」とオモタww、まああの蜀が懐かしいかという話に関しては、実は蜀が懐かしい蜀に帰りたいなどと言えば危険視される可能性があったので、わざと馬鹿を演じたのではないかという説もあったなぁ
劉備が家族を置き去りにしなけりゃ趙雲が敵軍の中に探しに行く必要も無かったんだもんね逆ギレもいいとこだよね(´・ω・`)
劉禅本人の生まれが荊州、親父の出身地が幽州なので「本気で懐かしくなかった」説を推してみる
臣下が全ての男、個人的な欲望を満たす為に国政を乱さなかった点だけが君主としての美点。
劉禅は諸葛亮が陣没した際に、諸葛亮を愚弄した李邈を即座に処刑しているあたり諸葛亮を信頼していたと考えています。乱世に生まれなければ、「普通」の君主でいられたでしょうね。また、蜀滅亡後、晋に候として迎えられた劉禅の子孫は50人以上もいたあたり、色をかなり好んでいたと思われます。
てか、象徴君主としての理想形のような気がしないでもない(´・ω・`)
結局劉禅の子孫は五胡十六国時代てほぼ消されちゃうが
劉禅はある意味幸せ者。畳の上で死ねたし、子孫は東晋以降も続いている。西晋以後の滅亡した王朝の君主達に比べたら、ホントに幸せ者だ。
つまり勝ち目も無い相手に徹底抗戦して首都を戦場にして花と散った方が歴史に残って素晴らしいって事ですね
@@syuzredsyuzred8507 少なくとも劉禅の息子の皇太子一家はそう思っていたようです。
@@shinpeikitajima7115 ならば兵を率いて華々しく戦ったんですよね、家臣達もそれに殉じたんですよねえ、まさか混乱の中で何もしない内に名も無き兵士に切られたとか無いですよねえ
@@syuzredsyuzred8507 いや、曹魏軍の成都侵攻の際に徹底抗戦を主張したようですが容れられず、憤激のあまり一家ともども自殺しています。彼は皇太子ではなく、その弟(五男)でした。失礼いたしました。では皇太子はと言うと、父と行動を共にしたようですが、姜維の蜀漢復興作戦の際にその混乱に巻き込まれて殺害されています。劉禅は自分の代で国をたたむことになると予測していたのか、彼に所謂帝王学を施すことはなかったようです。なまじっかそんな知恵をつけさせるとかえって彼の災いになると考えた父が敢えてそのような教育を避けたのか、父の意を察した息子が「降伏後のより良い自身の身のあり方」を考えて父に従ったのか、単に教育を怠っていたのかはわかりません。どれもあり得るんですよね、劉禅の場合は・・・・・
@@shinpeikitajima7115 それ弟の方あと妻子ともども自殺は演義設定、正史では妻子殺したあと自殺
部下を生かし自分も生き延びたという点では有能だと思う
運が良かっただけでは… しかし、運も実力のうち…とも言うしな。
真っ先に滅んだけど魏や呉の末路を見たら寧ろマシだと言える
えっ、部下は生き延びましたか?
結果的に英雄と言われてるお父さんよりも治世も長いし、長生きもしたんだな
三国志時代のあらゆる英雄の中で、幸せそうな一生なんだよな……劉備は案外喜んでるんじゃなかろうか……それが最初に横山光輝三国志読み終わったときの感想だ
諸葛亮をそして後任の蒋琬・費禕といった名臣を遠ざけなかった事だけでも充分及第点をとれると思う演義補正での孔明・姜維上げの為に作り上げられた暗君といった感じがする
全く同感。三国中最弱の国を諸葛亮没後30年近く保たせたのは、蜀の後主個人の才覚でないにしても、北伐はやることはやっても徹底させなかったことは、国力の消耗を押さえつつ、蜀漢の存続のモチベーションを保つための北伐自体は行ったことは絶妙なバランス感覚である。そもそも、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲が揃てもっと長生きしていたら、かえって積極的な北伐に撃って出て(慎重な諸葛亮も竜虎将軍が揃っていれば強気に出た可能性もあるし、関羽と張飛が揃って主張することには抗しがたい)、善戦はしても却って魏から徹底的な反撃を受けて魏の明帝の代で滅したと思う。
取りあえず北伐だ!なんてしてませんからねきちんと国の機能を整えてからやってますからね
演義における孔明の後継者であり亡国の英雄・姜維だが、本当は姜維こそ蜀滅亡の原因となった事実から目をそらすために劉禅や黄皓を一級戦犯に仕立て上げたんだろう。
「2代目ボンボン」というより「君臨すれど統治せず」なスタイルだったんだなぁ…というか演義で「劉禅が地面に叩きつけられたシーン」は、普通に助からないよね…
劉禅については同感です。諸葛亮と相性が良かったのも幸運でしたね。馬謖のように想定外の事態で変なことをせず、絶対に諸葛亮の指示を厳守する部下の鑑のような皇帝だったのでしょう。祭事などをこなして有能な宰相や将軍の邪魔をせず、野心や承認欲求がなく周囲が優秀なら国家が運営される。司馬昭との逸話は50代頃でしょうに恥が少なく、敵を失笑させて亡国の部下を厚遇させる。あくまでも結果論に過ぎませんが、皇帝という立場ながら相手を警戒させることがない能力は地味に良い能力だと思います。宮沢賢治のアメニモマケズをふと思い出しました。
劉禅(阿斗)がこうなったのは、趙雲が抱っこしてぶんぶん振りまわしたり、劉備が地面に放り投げたり、ヒト、ましてや乳幼児には荒すぎる扱いをしたために脳が損傷したものだと思っていました。
劉禅が積極的に行なったこと※諸葛亮を貶した臣下を処刑にしました
後孔明亡き後蜀滅亡迄に大規模な反乱がなかった事かな?
明君やん!
むしろ孔子の行いを実施している素晴らしい人物
@@saw196 悩む能力がないというか、心底のんびりタイプだったんだなあ・・・まあ、猜疑心の塊になっていた頃の司馬昭から安心されているというのは、逆な意味で生きる力につながったと思う。
「俺みたいになるな!」とは言うけど極めて無能ってわけでもなかったのに後世の小説家に脚色を加えられまくって過小評価されまくりな暗君扱いされないようにするためにはどうすればいいんだろう…w
まず一国の国王に生まれてくるなんてなりたくてもなれないです😭
周囲に物語の主役に据えたくなるような華やかな男女がいないことを天に祈ろう
そもそもその後の君主見て劉禅がどれだけ良かったか分かる
まぁでも最近になって見直されてるし…w
中国史を知れば知るほど評価が上がる男
負け確の中で良くやったと言わざるを得ない
どの道蜀は魏に滅ぼされたと思うし、戦争して沢山人が死んでから滅亡するのと、あっさり降伏して滅亡するのなら後者の方が良かったのではないかと思う…
孔明、姜維ですら勝てなかったから無理なんだろうな
さるる 国力が違いすぎる…
劉禅が降伏したおかげで、被害が広がらずにすんだ、なんて評価もあるみたいですけどね。もし、徹底抗戦だったらどれだけの被害が出ていた事か。無能と言うより、平凡。でも自分より有能な人を妬まず、全て託せたのはある意味才能あったと思います。これ、意外と難しいので。
才能というより、器量とか度量の問題だと思う。そこは劉備から受け継いでいたのかもしれない。
無能な怠け者の方が無能な働き者よりマシ怠け者は一人分の損害しか出さないが働き者は無限の害を及ぼす
最初から詰んでるのによく頑張ったと思う。状況的に魏に降伏した方が良い状態で継いでるし。
いきなりハードモードですからね呉とは仲が悪い、魏を討伐しようと下から圧力がくる名君とは言いませんが、諸葛亮亡くなっても国を維持できたのは凄いですよね
そのな詰み状態の中でも孔明の元で、やるだけの事をやったんだし少なくとも暗君なんて評価は気の毒すぎる。
もし本気で「蜀が懐かしい.蜀に帰りたい」なんて言ってたら本人も部下たちも皆殺しになってた..と30年くらい昔の光栄の三国志の武将紹介本に書かれてた..
みんな劉禅好きで嬉しいぜ!
諸葛亮の北伐は蜀の国力を考えて行っていたけど姜維はそうではなかったから、過度な北伐が蜀滅亡の一因というのは確か。
演義と正史の劉禅をそれぞれ紹介している。以上。
孫夫人が周瑜の策で騙されて呉に帰るときに連れていき損ねたところでも出てきますよ。その時も趙雲に助けられている。
劉(氏)を禅(譲)するとかいう滅ぶ気満々の名前
司馬昭に「蜀が恋しいとは思いませぬ~」と言ったことになっているが、司馬昭は蜀滅亡の二年後に中風で病死している。蜀滅亡が263年11月。その後姜維の反乱などのゴタゴタもあり、実際に宴会が行われたのはかなり後のことになるとなると、言語障害と半身不随で床に伏しているはずの司馬昭が宴会に出ていて酒席で楽しそうに会話している、という異常な事態になってしまう宴席で顔を合わせたのはおそらく皇帝即位後の司馬炎のはずで、間違っても余計なことは言えない状況
何か、ホノリウスに通じるものがありますね。ただ、違う点はホノリウスはスティリコを処刑したのに対し、劉禅は孔明を処刑しなかった。
劉禅は良くも悪くも「凡君」といった感じですね
この人は~をした、~と言った、そういった人となりや考え方、価値観を示す史料があまりないからなんかいいように扱われちゃったように感じるし、逆に色々な解釈や考察ができる面白い人だと思う。降伏後の司馬昭とのやり取りも演技だったとすれば、野望のためなら君主さえ手にかける司馬一族のボスをたった一回の演技でコロリと騙して警戒を解かせ内心は「アイツも大したことないな」と、舌をだしていたのかも、こう考えるとおもしろい。
0:35ここすき
本当の暗君なら孔明死後40年は持たない 以外にしっかりさんだと思うよ
親たちの戦いばかりの生き方を見てきたからこそ志だの争い事だのに人生を費やすのが馬鹿らしかったのかなと思いました。当時の価値観では完全に異端でしょうが…。
某歴史SLGの劉禅はステータスで遊ばれてるからな ステータスを並べると3594、つまり三国志
無血降伏したわけだから三国志の徳川慶喜と言っても過言でない
劉禅は まぁ覇王としての才覚はなかったですが治世としては中々よかったと思います。実際劣勢の中で目立った反乱もなく治めていましたし。亡き父の威光もあったろうですが組織は中々淀みはなかったみたいですし。学者の中でも「戦場の知識は無かったが平和に治める能力はあったのではないか?」と逸話の信憑性よりも治めた記録から考察できるらしいです。
動画題として「大」暗君とか暴君とかつけるとキャッチ―だからつけざるを得ないのはよく分かるが、動画内でも暗君だと断言している点には大いに疑問がある。劉禅は、動画作者さんの指摘通り陳寿の評に全てが示されているが、献策されれば適宜採用していたし、蜀の降伏もその時点で選択肢が限られていたことと、自身の身の安全と厚遇が保証されていた点は当然加味すべきだけど、疲弊しきった蜀の民草の現状と、今後彼らの生活水準を向上させる観点からは、最善手だったことは明白なのがよくわかる。彼は暗君という程愚かではない。国は亡ぼしたが民を亡ぼしてはいない。二元論、白黒はっきりさせれば気持ちいいが現実はそうではない。劉禅は、「意志薄弱で臣下に恵まれなかった凡庸な君主」という評価が妥当だと思う。
劉禅は評価が難しい人物ですね暗君まではいかない気もするが、さりとて名君ではない人に任せる度量はあるが、人を見る目に秀でている訳でもないやや無能な善人という感想かな…それでも他のラストエンペラーよりかなりマシな印象
出だしから飛ばしてるwwこんなに笑えるしくじりシリーズは初めてですw
劉備の出身は涿郡涿県だから蜀の地に劉禅の先祖の墓は無いはずと郤正にマジレス。
実際は普通より優秀だと思う。自分だったら劉禅以上にうまくできるかといったらできないと思う
五胡十六国時代や南北朝時代の皇帝にはその劉禅や孫皓より酷いのがワラワラ居るしな
自分の地位を絶対に奪わない、全てを上手く取り仕切ってくれる臣下がいれば(そんなの聖人にして超人レベルだけど・・)名君だった人物です。何せ仕事を任せたら、一切口出しはしないのだから。凡人だったら、絶対に口出ししてしまいます(笑)。
1:28甘夫人は史実で后になってたのに対して、糜夫人は徐州辺りから記録がぷっつり途絶えるからここでうまいことパスアウェイさせたんやで
この趙雲の後ろはいかなる敵も手を出せぬ処、そしてこの趙雲の懐はいかなる貴人も手を出せぬ処
暴君になるわけでもなく無理なモンは無理自分がよければそれでいいのスタンスで乱世生き抜いたのは凄いと思う
劉禅見てるとほんと歴史って現代の人が正誤決めるんやなあって、ヒトラーが英雄になってる未来も全然あるよね
正直暗君というよりは平凡だったんだろうと思ってる政に関わるのに向いてなかったというか民から見ていつ終わるとも知れぬ北伐にこだわる姜維とさっさと降伏して戦いを終わらせ魏に下った劉禅とどっちが正義なのか
戦争から解放するという意味合いでは劉禅は良かったと思います 無理に長引かせずに民たちを楽にしたかなと
劉備が阿斗を叩きつけた時に打ち所が悪かったんだろうか。
劉禅は孔明の意思を一番に受け継いだ人物だと思うな。一番に家臣と民を思い、当時の現状を見抜いていたのではないか。
姜維の動画ありそう、面白くなりそう
正史後主伝では「その性質は染まりやすい白糸のようなもので、賢臣に支えられていれば賢君であり、逆臣に支えられていれば暗君となる」という評価も一応あると言えばあるただ、孫皓は怪しいが劉禅については「暗君」の一言で片付けていいかどうか解りかねるんだよな大体にして黄皓が劉禅に仕えた(事が窺える)のは諸葛亮死後の話で、そもそも諸葛亮が亡くなったあとも(蒋琬や費褘が頑張ってたのもあるけど)別に圧政を敷いていたわけでなく政情は安定していて、蜀を疲弊させたのはどちらかというと確固とした勝算もなく連年出兵してやがった姜維のせいだしなあ…
劉禅の子孫って曹氏、孫氏の子孫よりも長続きしている。お家を残すという事にかけては一番の成功者かも。
劉禅が反乱を残虐に討伐させたとか、遊ぶ金のために人民を害したとか、そうしたエピソードも無い。乱世の皇帝としては落第でも、平時だったなら、それなりの評価はされたでしょうね。
なにより、40年の治世で蜀の領内において大規模な反乱が一度も起きてないのがデカいですね。
@@酔狂-i9o 劉備は在位はたった2年だからな。後、諸葛亮が亡くなってから29年も経っている。
呉の無茶苦茶ぶりに比べれば暴君じゃないだけマシって気がする
「的確に他人を使う」というのは非常に難しい。なぜなら、他人を使うためには「その能力を的確に把握する」必要があるからだ。これを簡単に「人を見る目」と言うが、それは生まれつき備わっているような能力ではなく、膨大な実体験の集大成としてのみ存在する。基本的に、的確に人を使える人間は、やろうと思えば自分でもそれを実行できる。そもそも、自分ができないことを、他人ができるかどうか判断できるわけがない。そして、「いざとなったら自分でやればいい」という自信があるので、安心して人に任せられる。それに対して「実力のない人間」は、自分で何も判断できないので、やたらと人に聞いて回る。しかし、実体験のないことを「言葉」だけで理解できるわけがなく、常に不安で人を疑う。この違いは、「失敗や問題」が生じた時に顕著に現れる。的確に人を使える人間は、当然「失敗や問題」の原因を理解できるので、修正すべきは修正し、責任を問うべきは責任を問う。その結果、組織の能力と信頼関係はどんどん向上していく。それに対して無能な人間は、原因以前に「失敗や問題」の発生自体をよく理解できないので、ひたすら「隠す」。その結果、その組織はどんどん腐っていく。それでは、「ある仕事を一人前にこなせる人間は、的確に他人を使うことができるか?」と考えると、そうではない。ある仕事を一人前にこなせる人間は多くて一割で、的確に他人を使える人間はさらにその中の一割にすぎない。第一の理由は、ある仕事を一人前にこなすためには、必ずしもその「手順」を明確にする必要がないから。一見優秀な人間でも、自分がどんな手順で作業しているか判っていない人間は多い。教師になると、いかに自分が自分の仕事を理解していないかが判る。第二の理由は、例え手順が明確であっても「複数ある」場合が多いから。数学でさえ、一般的にある命題の証明法は複数存在する。もし、他人が自分とは異なった手順を使っている場合、その手順で作業を実行可能かどうかを見極めるには、自分の経験を超える能力が必要になるが、そのためには「手順の一般化」が不可欠。「丸暗記」とか「体で覚えた」系の人間にはできないこと。次に、他人を使う際の評価基準として「能力」と「誠実さ、善良さ」と「勤勉さ」のどれを評価すべきについてだが、これは間違いなく「能力」で判断すべき。そもそも、ある程度の勤勉さなしに能力を獲得できるわけがないので、能力がある人間は基本的に勤勉だ。逆に、「ダラダラ残業や休日出勤をする人間」は、無能であるか、それを隠すための「ポーズ」として勤勉を装っている場合が多い。次に、「誠実さ、善良さ」についてだが、私の経験によれば重要ではない。まあ確かに楽な仕事なら、誠実で善良な女の子のアシスタントとチームを組む方が楽しいが、厳しい仕事になれば、性格悪いヤツや商売敵とでも組まないと終わらない。特に三国志のような時代背景であれば、「誠実さ、善良さ」なんか二の次で、「唯才是挙」になるのは必然。さらに、「有能でかつ誠実善良」なら素晴らしいが、これも無能を隠すためのポーズであることが多い。また、「性格悪いヤツや商売敵」であっても、仕事が忙しくなると「悪いことをする余裕がなくなる」ので、案外問題が生じない。「性格悪いヤツ」とか「商売敵」というのは、あくまで「平時」の関係であって、緊急事態になれば普通にチームを組める。これも「有能」の証。
「的確に他人を使う」のに失敗した例としては、「諸葛亮と馬謖」の例が有名だが、これは馬謖の「能力」というより「覚悟」の問題。馬謖が「街亭の戦い」で負けたのは、「諸葛亮の命令に忠実でなかったから」とか、「山に登ったから」とか、「王平と分かれたから」等、いろいろ言われるが、やっぱり致命的なのは「戦場から逃亡したこと」。戦場から逃亡するような人間を前線指揮官にすれば、軍の実力は半分も出ない。「覚悟」を「能力」に含めるかどうかはケースバイケースで、後方で参謀とかやってる分にはそれほどの覚悟は要らないが、前線に出る以上「死んで当然」ぐらいの覚悟がないと務まらない。馬謖にこの覚悟がないことを、諸葛亮も馬謖自身も判らなかったが、劉備には判っていた。その眼力は、やはり劉備の実戦経験の豊富さから来るものだろう。
某無双界隈では昭x禅のカップリングがあると聞いてぶったまげた記憶がある。正史を読まれてるわけではないらしいのでさらに驚いた。あれだけこき下ろされても補完出来る人は出来る。
一流のプロレスラーはホウキとでもプロレスができるように、一流の腐女子はホウキとチリトリをもカップリングする
スリーキングダムのちょっとおたおたしながら丞相、ど、どうしたらいいか?という姿が多分真相だと思う魏に比べて国力10分の1で国体を保ち孔明やショウエン、姜維、の邪魔をせず誅殺しなかっただけでも名君だと思うわ俺なら北伐継続か否かだけで胃潰瘍になるし、議論われる家臣の統率できる自信がない実力がないならできるやつに任せられるのも能力だと思うぜ統率50 武力15 知力40 政治45 魅力65 これくらいが妥当故郷恋しくないわけないっじゃないっすか と言ったらやれ! はいで暗殺されると思う
悪いこと言わないから、そういうゲーム視点はさっさと終わらせた方がいい。人間の個性はたった5つの項目で全て決めるものではない。こういう三国志考察ページには演義やゲームなどの虚構を切り離してコメントする人間の方が圧倒的に多い。だから趙雲に関してはファンの悲鳴しか聞こえてこない。
投稿者って実は劉禅のこと好きだろw
というより暗君とか暴君とかのダメ人間が好きそう(´・ω・`)
@@nuruosan4398 なるほど!確かにブーチョッチョもいじり倒していましたね!
好きと言うより、私を含むここのコメント投稿者の多くにとって劉禅という人物は、「三国志に登場する君主クラスの人物の中で、最も自分たちと質的に近い人物と思われるので身近に感じられる」からはないでしょうか。曹操とか孔明とか司馬懿あたりになってくるとあまりにも「できる人物」すぎて、凡人にはかえって遠く感じてしまうと言うのはあるかもしれません。
三国志演義に限れば、劉禅がアホになった理由は趙雲にジェットコースターみたいに振り回された挙句、劉備に投げ捨てられたせいに違いない。高い高いってするだけでも、赤ちゃんの脳にダメージを与えるっていうからなぁ…
まあ北伐は蜀の国是みたいなとこあるし、やらなくなったらなんで蜀やってるの?ってなっちゃうしなぁ……
劉禅はいわゆる普通、オーディナリーな人。太平の世なら、そこそこ優秀な君主となれただろうが、あいにく当時は乱世真っただ中であったため、暗君になってしまった…。その時の社会状況によって、トップに必要な能力は変わっていくのだ…。何かの本で読んだが、東条英機も生真面目な役人タイプだったため、ある程度の狡猾さが必要な政治はうまくできず、おまけに時代は戦争中という非常事態時であったのもあり、首相の役割をうまく果たせなかったのではないかという話があるらしい。こういう能力と時代が合わない人って結構多そう。
「名君なのになんで国を失ってるわけ?」って火の玉ストレートが飛んでくる以上、劉禅を名君というのは無理があるよな...
名君とまでは言わないけど暗君とも思えない印象です晩年の孫権、司馬炎と比べると特に
こう言うこと言うが僕も父親が社長で親に期待されてるが自分に才能がないことが既にわかってるので辛いです😊
動画にはなかったけど劉禅の評価を下げた結構大きい要因は毛沢東の言葉もあるんじゃないかな?
なかなか奥深いですな実は、人を見る目を養うことがいちばん難しいことかも知れません((+_+))
昔々、取引先の肉屋さんが 「肉の良し悪しは、カットして断面を見ればわかるが、面接者をカットして断面を見るわけにいかないから、人を観るのは難しい」と言ってた❗️
天地を喰らう2の井戸のシーンが意味不明だったが、原作があったのか
最後の劉邦との比較はナイスです。確かに劉邦と似た要素はあったけど、周りにいたのが張良韓信樊噲だったのか、黄皓だったのか、という差につきますわね…(孔明や蔣琬らがいたころはそれなりに治世も機能していたあたりなんかも余計にその感を強くさせる感)…しかし、こうやって考えると、劉禅の父、劉備が劉邦の末裔って奴、反劉備派がいうただの自己暗示、なんぞじゃなく本当だったのでは、という気が…
三国志には、漢の霊帝とか最終的に暴君になってしまう孫権とかいろいろいるから、劉禅が三国志最悪の暗君とまでは言えないのでは?
孫権なんて最悪な形でバトン渡してますからね 幼帝擁立に家臣虐殺、追放…
通説をわかりやすく伝える意義はわかるけど、英雄的魅力を備える人物でなければ無能扱いしたり酒飲むくらいで叩かれちゃうのはな。どこからどこまで誰の功績にするか、共通の事業なのに好きな人物に評価が偏って嫌いな人物には与えなかったりといくらでも認知をコントロールできる。
20:24実は消極的名君っていうのも結構いたりして…
助けようもない阿斗(なお最後まで助かって生き延びている有能)
まあ、あれっすよ 趙雲が夫人を連れて行かなかったのは、3人で逃げるより劉禅が生き残る確率が高いと思ったからっすよ……
蜀を40年持たせたのだから、凄いことだよ
司馬昭とのエピソードは、劉禅の芝居だとする人が昔から少なからずいますね。暗愚でないと敵地では危険だ、と。姜維も、黄皓だけが政敵じゃなく、諸葛瞻も黄皓派だし、後に剣閣でともに戦う張翼も姜維のやり方に反対してましたから、末期は「いい加減にしろ」って感じだったかと。諸葛瞻も平地迎撃にこだわって、山間から出て来たばかりの鄧艾を見逃し、綿竹で一回勝っただけで鄧艾軍の跋扈を許す。劉禅に限らず、蜀末期は人材がいなさすぎですな。
皇帝すら倒してしまうような人物の前で、芝居を打つほうこそかえって危険ではないかと・・・。やったところで所詮バレバレですし。
劉邦は部下を自分色に染めたと言うところかな。
斉の桓公も政治は全て管仲に任せてひたすらその進言、諫言を聞き入れて覇者になりましたよね。その管仲が亡くなってから君主としても国としても転落し、惨めな最期を迎えましたが…劉邦と劉禅の両方を体現した君主でしたね。
最後のところの判断は正しかったと思う。司馬昭の前で蜀を思って泣いていたのなら殺された可能性があるから。
糜夫人が井戸に身を投げたのは、きっと自分がいたら逃走する趙雲のじゃまになるからだよ。そう思ったに違いない。そう思わないと唐突すぎるw
劉封の件もそうだけど、演義では描かれてない部分があるんですよね。劉備と孔明は演義程親密と言える関係じゃないみたいだし、荊州閥と益州閥の対立とか。
22:35 強いて言うなら、陳祗までは体裁は保ってたのだが…。
言うても蜀の兵力や物資を度重なる北伐で消耗させた孔明と無血開城を決断した劉禅、マクロな視点で見ると劉禅のほうがマシという説もあり得る…かも?
スローライフ系異世界転生主人公
暗君というほど悪いことはしてないとは思うけどなあ。ただ何にもしなかったのは確かだろうけど、有能な配下に全てを任せてただけって感じ。まあ普通こういう主君だと配下に裏切られて禅譲させられてころされるのがオチなんだが、幸い劉禅はそうはならなかっただけ運がいいだろう。
こういう暗君ってイラストだとめっちゃ童顔で背の低い小太りだよねあとニコニコして赤ら顔
劉禅は、歴史に残るような名君ではないし、確かに末期は宦官の言うことを真に受けて蜀漢を滅ぼす一因をつくったけど、「君臨すれども統治はせず」に近いスタンスで自ら国を乱すことはせず、時には北伐推進派と北伐反対派、荊州閥と益州閥の間を取り持つことで、呉や魏に比べて国政を安定させていた一面もあったのではないか(姜維と宦官の黄コウの間を取り持とうとしたときは的外れで裏目に出たが)事なかれな一面もあるけど、権威と権力を分立させて、権力を握って政治を行うのは実力者にして、権威を君主が保持することで国を治めていくやり方は現代にも通じるものがあるし、言われるほど劉禅が暗君、無能とは到底思えない。
冒頭のイラスト(屋)が毒のない微笑みデブなのが劉禅のイメージよく表してる
知れば知る程、“劉禅”を嫌いになれない(笑)劉禅は決して“暗愚”ではない!“敵を欺くには先ず味方から”とはよく言った物徹底的に“暗愚”を演じ、敵を欺き続けた“劉禅”程の“英傑”は中々居ないだろう
ならば、魏軍が侵攻してきたとき、黄皓の占いの結果を丸のみにして姜維に援軍を送らなかったために鍾会に漢中入りされ、陰平から山岳地帯を強行突破してきた鄧艾に綿竹で諸葛瞻率いる近衛軍が壊滅させられた際、南中あるいは呉まで逃げようとしたことについてはどのように評価すべきなのか。それでも英傑と呼ぶべきなのか。
降伏後、彼は魏の領地で貧しい村をみかけて、
蜀宮の花の栽培方法を伝授し、救ったという逸話もある。
その村には、いまだに彼を称える石碑や「阿斗」の名のつく場所がある。
根は悪い人じゃないけど、戦乱の世の君主には不向きだったんだろうなあ。
逆が曹操かな?
子供を投げるのは劉氏の伝統芸
きっと、阿斗ちゃんも投げ捨てられて、打ちどころが悪かったから・・・
劉邦も捨ててるよね~
@@日常ポロネーズ 劉氏の末裔を強調したい演義の脚色のような気がします
故郷のことを尋ねる話は、蜀のことが懐かしいと言えば謀反の疑いをかけられて殺される可能性もあった訳だし、むしろ無能を演じて無害アピールをするのは大事だった、っていう解釈はなるほどなと思った
腹心との密談が筒抜けてチョーヤバイ
わりと有名な説ですよなそれ
なにしろ蜀の帝位を継いだとき、曹丕を思いっきり糾弾する文書を送ってるから、降伏したところで下手なこと言えば自分の身も危ないですし、馬鹿扱いされるのも劉禅なりの処世術だったのかも…
司馬懿がボケを演じた様に、劉禅はバカを演じたのかな?
しかもこれ現代でも定年退職してる年齢だからね... ちょっととぼけた好々爺を演じるのはわかるし偉いよね
本当に「演じた」のでしょうか?
個人的には、あれは演技などではないと思う。
寧ろ本当に蜀の地に愛着などなかった。というより、「自分は負けて国を失ったんだから、勝った側の意向に従う」という、完全なる恭順の意思を示したように思えるのだが。
どう考えたって劉禅は文王司馬昭の前で韜晦できるような器ではないし、仮に無能を演じたところで、所詮はバレバレだったのではないかと。
蜀漢討伐以前の段階で鍾会の野望を見抜いて、しかもその後の成り行きまでほぼ正確に予見していたほどの男が、どうして宴席で亡国の暗君の小賢しい演技を見抜けないはずがあろうか。
また、亡国の君主でありながら己の前で韜晦するような輩であれば、それこそ魏や晋にとって危険人物であり、かつて皇帝さえ弑殺した男がそのまま無事安泰に余生を過ごさせることがあろうか。
自分を無能だと理解している人間は自分を天才だと思っている人間よりも遥かに偉い。
@oi ran 本当に天才ならな。荀子さんは「自分を天才だと思っている人間」と言っているんだ。自分を天才だと思っている無能だったら目も当てられないと言う訳だ。
@@Claude_Beaumont 多分そういう感じの事でしょうね
たしかに、王莽さんみたいに行動力があると酷い事になったからね
サンキュー偉人
劉協「せやな」
暗君ではあるんだろうけど、別に大虐殺を行った訳でも重税を課して民を飢えさせた訳でも無いので、
親父が偉大過ぎなければそこまで言われなくても良かったと思う。
偉大な父親の二世として期待されながらも周囲から「あっコイツ、ダメだわ…」って思われているストレスフルな状況の中で、本人は苦しんでいる様子が無く天寿を全うしているのは見方によっては凄い才能では?「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」というくらいだし、孔明が頭を奪わずに劉禅が頭になっていたからこそ続いた40年間だったんだろうと思います。
三國志演技は飽くまでも小説
後世に人気高く有名な人物が活躍し、その他の人間は割り食ってばかりいる
漢帝国歴代どころか中国全皇帝の中でもトップから数えられるほど長い在位期間をほこる長命皇帝なんだよな
いくら今の四川省・重慶市とその一部周辺地域だけの地方政権だったとは言え、日本よりは広かったし、人材不足だったから司馬氏みたいに皇帝を操り人形にして実権を握ろうなんて野心を持っていたのもそんなにいなかったというのもあったのでしょうが、ただの無能では絶対40年も皇帝なんか務まらないですよね。劉禅はそこまでは酷くなかったと思います。
その後の「八王の乱」等の大国滅亡後の小国乱立による混乱を見ると、劉禅みたいに「自分は退位して降伏するけどその後に野心も抱かず、旧領の住民が安寧に暮らせるようにひたすら臣従をして秩序を守る」という姿勢はむしろ近代ヨーロッパ的君主像に近い気がするんだけどな・・当時の領民としては圧倒的名君じゃない?
久しぶりに霊夢のテンションがおかしいww
ちなみにコーエーの劉禅ステータスは、統率.武力.知力.政治 3.5.9.4(さん/ご/く/し)の語呂合わせだから…
@@垢抜けた鬼子供 突出して悪いとこもない。まさに紙一重
劉禅が暗君という評価は仕方ないけど、呉や晋の皇帝に比べれば随分マシだと思うよ
初代はみんな凄かったのに
世代重ねるとどんどんアホ化が進む
長い中国の歴史、劉禅より酷かった君主だっていくらでもいます。蜀が滅んだのもそもそも魏に勝つ事なんてムリゲーだった。今の四川省・重慶市とその周辺地域の一部だけが勢力範囲の地方政権だったとは言え40年も皇帝やれたのだし、姜維の暴走を止められなかった事等はマイナス点でしたが、まあしょうがなかったでしょう。
例えが適切かどうかは分からないけど
テストで40点未満を赤点とした場合
劉禅は39点の赤点で呉や晋の皇帝が10点〜20点の赤点なんだよな。
ただもうちょっと頑張れば及第点も視野に入ってたのに残念だなー、って感じ。晋や呉の皇帝は先生が見捨てるレベルですが
自分が父親ほど能力はないの分かってて、ゆっくりしてるから周りから軽んじられてるけど暗愚って程でもない感じの三國無双6以降の劉禅が一番ちょうど良いキャラだと思う。
劉禅は無能というより英傑ではないただの凡人ってイメージのが強いなぁ
これが一番しっくりくる
才乏しい身であることを自覚し、自分なりに精一杯時代にあがいた凡人
まだ無能な怠け者だから神輿で担ぐには良いが
本当に悪夢は孫皓みたいに中途半端に才能あっても裏目に出て無能な働き者になるのが
中国人のアイデンティティである漢存続のチャンスをフイにしたから必要以上にsageられてる感はある。
しかし、あの状況ではよほどの名君じゃない限り、孔明丸投げ以上の結果と変わらず、結末は一緒になると思う。
@@あい-c7o1s
五胡十六国時代みたいに北方民族ヒャッハーで魏帝国に侵入してガラガラポーンにならない限り
蜀漢も孫呉もダメとしか
諸葛亮→董允→陳祗の優秀な人が劉禅を支える流れが途切れたため黄皓の専横が始まったから陳寿の評価は本当に的を得ていると思う。
的は「射る」もの。「当」は得るものw
@@sepa3435
へーそうなんだ、教えてくれてさんくす。
三国で一番国力の低かった蜀を四十年もたせたということは結構凄いことかと。自分では積極的に動かないですが名臣でもその人を信頼して全部任せるには度胸が必要ですし。そもそも後の五胡十六国や南北朝のおかしな皇帝達に比べれば人格も能力も遥かにましです。
昔のイメージ→劉禅はあほ様。
今の認識→魏の曹氏や呉の孫氏の自滅ぶりが酷すぎて劉禅が一番まし。
今川氏真「つまり武田勝頼や北条氏直よりマシ」
@@どらやき-z1w いや、本当にそうなんですよね
魏も呉も酷い結末ですからね
今川氏真だって子孫きちんとのこしてますからね
@@どらやき-z1w 掛川城で頑張ったから援軍も無い籠城戦で裏切り者も出さずに生き延びたから
責任を担う能力がないから、責任を負わせようという人間が誰も居なかった。
そのため、責任を背負った人間よりも背負わない人間の方が「幸せ」に暮らせたわけだが…。
それで得た「幸せ」に意味があったか…。というのが論点になりそうな話ですね。
とりあえず、「劉禅が一番まし」であるというのならば、働きもせずにゴロゴロして酒飲んでるオッサンやオバチャンが世の中に増えていくという世俗の価値観になっている訳で、そういうのが世の中で蔓延るなら、家でゴロゴロして酒を飲んでいる間に世の中が誰かが何かしてくれるゲームが流行るんですかね…。
魏の司馬氏を初めとする家臣を上手く使いこなすゲームとか、呉の二宮の変のような分裂要素を防ぐゲームの方が(辛いかもしれないですが)個人的には有意義に見えますが…。
つまりやる気にあふれて家臣や後継者を殺しまくる君主は素晴らしいと
よくいる再評価厨みたいに「劉禅は有能!」とか言わなくてホッとしたわ
すごく的確な評価をしてると思う
ドラマの三国志で、趙雲が劉禅を抱いて戦いながら振り回して、最後にとどめとばかりに地面にたたきつけられたシーンを見て「馬鹿になったのこれが原因だろ」とオモタww、まああの蜀が懐かしいかという話に関しては、実は蜀が懐かしい蜀に帰りたいなどと言えば危険視される可能性があったので、わざと馬鹿を演じたのではないかという説もあったなぁ
劉備が家族を置き去りにしなけりゃ趙雲が敵軍の中に探しに行く必要も無かったんだもんね
逆ギレもいいとこだよね(´・ω・`)
劉禅本人の生まれが荊州、親父の出身地が幽州なので「本気で懐かしくなかった」説を推してみる
臣下が全ての男、
個人的な欲望を満たす為に国政を乱さなかった点だけが君主としての美点。
劉禅は諸葛亮が陣没した際に、諸葛亮を愚弄した李邈を即座に処刑しているあたり諸葛亮を信頼していたと考えています。
乱世に生まれなければ、「普通」の君主でいられたでしょうね。
また、蜀滅亡後、晋に候として迎えられた劉禅の子孫は50人以上もいたあたり、色をかなり好んでいたと思われます。
てか、象徴君主としての理想形のような気がしないでもない(´・ω・`)
結局劉禅の子孫は五胡十六国時代てほぼ消されちゃうが
劉禅はある意味幸せ者。畳の上で死ねたし、子孫は東晋以降も続いている。西晋以後の滅亡した王朝の君主達に比べたら、ホントに幸せ者だ。
つまり勝ち目も無い相手に徹底抗戦して首都を戦場にして花と散った方が歴史に残って素晴らしいって事ですね
@@syuzredsyuzred8507 少なくとも劉禅の息子の皇太子一家はそう思っていたようです。
@@shinpeikitajima7115 ならば兵を率いて華々しく戦ったんですよね、家臣達もそれに殉じたんですよねえ、まさか混乱の中で何もしない内に名も無き兵士に切られたとか無いですよねえ
@@syuzredsyuzred8507 いや、曹魏軍の成都侵攻の際に徹底抗戦を主張したようですが容れられず、憤激のあまり一家ともども自殺しています。彼は皇太子ではなく、その弟(五男)でした。失礼いたしました。
では皇太子はと言うと、父と行動を共にしたようですが、姜維の蜀漢復興作戦の際にその混乱に巻き込まれて殺害されています。
劉禅は自分の代で国をたたむことになると予測していたのか、彼に所謂帝王学を施すことはなかったようです。
なまじっかそんな知恵をつけさせるとかえって彼の災いになると考えた父が敢えてそのような教育を避けたのか、父の意を察した息子が「降伏後のより良い自身の身のあり方」を考えて父に従ったのか、単に教育を怠っていたのかはわかりません。
どれもあり得るんですよね、劉禅の場合は・・・・・
@@shinpeikitajima7115 それ弟の方あと妻子ともども自殺は演義設定、正史では妻子殺したあと自殺
部下を生かし自分も生き延びたという点では有能だと思う
運が良かっただけでは… しかし、運も実力のうち…とも言うしな。
真っ先に滅んだけど魏や呉の末路を見たら寧ろマシだと言える
えっ、部下は生き延びましたか?
結果的に英雄と言われてるお父さんよりも治世も長いし、長生きもしたんだな
三国志時代のあらゆる英雄の中で、幸せそうな一生なんだよな……
劉備は案外喜んでるんじゃなかろうか……それが最初に横山光輝三国志読み終わったときの感想だ
諸葛亮をそして後任の蒋琬・費禕といった名臣を遠ざけなかった事だけでも充分及第点をとれると思う
演義補正での孔明・姜維上げの為に作り上げられた暗君といった感じがする
全く同感。三国中最弱の国を諸葛亮没後30年近く保たせたのは、蜀の後主個人の才覚でないにしても、北伐はやることはやっても徹底させなかったことは、国力の消耗を押さえつつ、蜀漢の存続のモチベーションを保つための北伐自体は行ったことは絶妙なバランス感覚である。そもそも、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲が揃てもっと長生きしていたら、かえって積極的な北伐に撃って出て(慎重な諸葛亮も竜虎将軍が揃っていれば強気に出た可能性もあるし、関羽と張飛が揃って主張することには抗しがたい)、善戦はしても却って魏から徹底的な反撃を受けて魏の明帝の代で滅したと思う。
取りあえず北伐だ!なんてしてませんからね
きちんと国の機能を整えてからやってますからね
演義における孔明の後継者であり亡国の英雄・姜維だが、本当は姜維こそ蜀滅亡の原因となった事実から目をそらすために劉禅や黄皓を一級戦犯に仕立て上げたんだろう。
「2代目ボンボン」というより「君臨すれど統治せず」なスタイルだったんだなぁ…
というか演義で「劉禅が地面に叩きつけられたシーン」は、普通に助からないよね…
劉禅については同感です。諸葛亮と相性が良かったのも幸運でしたね。馬謖のように想定外の事態で変なことをせず、絶対に諸葛亮の指示を厳守する部下の鑑のような皇帝だったのでしょう。
祭事などをこなして有能な宰相や将軍の邪魔をせず、野心や承認欲求がなく周囲が優秀なら国家が運営される。司馬昭との逸話は50代頃でしょうに恥が少なく、敵を失笑させて亡国の部下を厚遇させる。
あくまでも結果論に過ぎませんが、皇帝という立場ながら相手を警戒させることがない能力は地味に良い能力だと思います。宮沢賢治のアメニモマケズをふと思い出しました。
劉禅(阿斗)がこうなったのは、
趙雲が抱っこしてぶんぶん振りまわしたり、劉備が地面に放り投げたり、
ヒト、ましてや乳幼児には荒すぎる扱いをしたために脳が損傷したものだと思っていました。
劉禅が積極的に行なったこと
※諸葛亮を貶した臣下を処刑にしました
後孔明亡き後蜀滅亡迄に大規模な反乱がなかった事かな?
明君やん!
むしろ孔子の行いを実施している素晴らしい人物
@@saw196 悩む能力がないというか、心底のんびりタイプだったんだなあ・・・
まあ、猜疑心の塊になっていた頃の司馬昭から安心されているというのは、逆な意味で生きる力につながったと思う。
「俺みたいになるな!」とは言うけど
極めて無能ってわけでもなかったのに後世の小説家に脚色を加えられまくって
過小評価されまくりな暗君扱いされないようにするためにはどうすればいいんだろう…w
まず一国の国王に生まれてくるなんてなりたくてもなれないです😭
周囲に物語の主役に据えたくなるような華やかな男女がいないことを天に祈ろう
そもそもその後の君主見て劉禅がどれだけ良かったか分かる
まぁでも最近になって見直されてるし…w
中国史を知れば知るほど評価が上がる男
負け確の中で良くやったと言わざるを得ない
どの道蜀は魏に滅ぼされたと思うし、戦争して沢山人が死んでから滅亡するのと、あっさり降伏して滅亡するのなら後者の方が良かったのではないかと思う…
孔明、姜維ですら勝てなかったから無理なんだろうな
さるる 国力が違いすぎる…
劉禅が降伏したおかげで、被害が広がらずにすんだ、なんて評価もあるみたいですけどね。
もし、徹底抗戦だったらどれだけの被害が出ていた事か。
無能と言うより、平凡。でも自分より有能な人を妬まず、全て託せたのはある意味才能あったと思います。
これ、意外と難しいので。
才能というより、器量とか度量の問題だと思う。そこは劉備から受け継いでいたのかもしれない。
無能な怠け者の方が無能な働き者よりマシ
怠け者は一人分の損害しか出さないが働き者は無限の害を及ぼす
最初から詰んでるのによく頑張ったと思う。状況的に魏に降伏した方が良い状態で継いでるし。
いきなりハードモードですからね
呉とは仲が悪い、魏を討伐しようと下から圧力がくる
名君とは言いませんが、諸葛亮亡くなっても国を維持できたのは凄いですよね
そのな詰み状態の中でも孔明の元で、やるだけの事をやったんだし少なくとも暗君なんて評価は気の毒すぎる。
もし本気で「蜀が懐かしい.蜀に帰りたい」なんて言ってたら本人も部下たちも皆殺しになってた..
と30年くらい昔の光栄の三国志の武将紹介本に書かれてた..
みんな劉禅好きで嬉しいぜ!
諸葛亮の北伐は蜀の国力を考えて行っていたけど姜維はそうではなかったから、過度な北伐が蜀滅亡の一因というのは確か。
演義と正史の劉禅をそれぞれ紹介している。以上。
孫夫人が周瑜の策で騙されて呉に帰るときに連れていき損ねたところでも出てきますよ。その時も趙雲に助けられている。
劉(氏)を禅(譲)するとかいう滅ぶ気満々の名前
司馬昭に「蜀が恋しいとは思いませぬ~」と言ったことになっているが、司馬昭は蜀滅亡の二年後に中風で病死している。
蜀滅亡が263年11月。その後姜維の反乱などのゴタゴタもあり、実際に宴会が行われたのはかなり後のことになる
となると、言語障害と半身不随で床に伏しているはずの司馬昭が宴会に出ていて酒席で楽しそうに会話している、という異常な事態になってしまう
宴席で顔を合わせたのはおそらく皇帝即位後の司馬炎のはずで、間違っても余計なことは言えない状況
何か、ホノリウスに通じるものがありますね。ただ、違う点はホノリウスはスティリコを処刑したのに対し、劉禅は孔明を処刑しなかった。
劉禅は良くも悪くも「凡君」といった感じですね
この人は~をした、~と言った、そういった人となりや考え方、価値観を示す史料があまりないからなんかいいように扱われちゃったように感じるし、逆に色々な解釈や考察ができる面白い人だと思う。降伏後の司馬昭とのやり取りも演技だったとすれば、野望のためなら君主さえ手にかける司馬一族のボスをたった一回の演技でコロリと騙して警戒を解かせ内心は「アイツも大したことないな」と、舌をだしていたのかも、こう考えるとおもしろい。
0:35
ここすき
本当の暗君なら孔明死後40年は持たない 以外にしっかりさんだと思うよ
親たちの戦いばかりの生き方を見てきたからこそ
志だの争い事だのに人生を費やすのが馬鹿らしかったの
かなと思いました。
当時の価値観では完全に異端でしょうが…。
某歴史SLGの劉禅はステータスで遊ばれてるからな ステータスを並べると3594、つまり三国志
無血降伏したわけだから三国志の徳川慶喜と言っても過言でない
劉禅は まぁ覇王としての才覚はなかったですが治世としては中々よかったと思います。実際劣勢の中で目立った反乱もなく治めていましたし。
亡き父の威光もあったろうですが組織は中々淀みはなかったみたいですし。
学者の中でも「戦場の知識は無かったが平和に治める能力はあったのではないか?」と逸話の信憑性よりも治めた記録から考察できるらしいです。
動画題として「大」暗君とか暴君とかつけるとキャッチ―だからつけざるを得ないのはよく分かるが、動画内でも暗君だと断言している点には大いに疑問がある。
劉禅は、動画作者さんの指摘通り陳寿の評に全てが示されているが、献策されれば適宜採用していたし、蜀の降伏もその時点で選択肢が限られていたことと、自身の身の安全と厚遇が保証されていた点は当然加味すべきだけど、疲弊しきった蜀の民草の現状と、今後彼らの生活水準を向上させる観点からは、最善手だったことは明白なのがよくわかる。
彼は暗君という程愚かではない。国は亡ぼしたが民を亡ぼしてはいない。二元論、白黒はっきりさせれば気持ちいいが現実はそうではない。
劉禅は、「意志薄弱で臣下に恵まれなかった凡庸な君主」という評価が妥当だと思う。
劉禅は評価が難しい人物ですね
暗君まではいかない気もするが、さりとて名君ではない
人に任せる度量はあるが、人を見る目に秀でている訳でもない
やや無能な善人という感想かな…
それでも他のラストエンペラーよりかなりマシな印象
出だしから飛ばしてるww
こんなに笑えるしくじりシリーズは初めてですw
劉備の出身は涿郡涿県だから蜀の地に劉禅の先祖の墓は無いはずと郤正にマジレス。
実際は普通より優秀だと思う。
自分だったら劉禅以上にうまくできるかといったらできないと思う
五胡十六国時代や南北朝時代の皇帝にはその劉禅や孫皓より酷いのがワラワラ居るしな
自分の地位を絶対に奪わない、全てを上手く取り仕切ってくれる臣下がいれば(そんなの聖人にして超人レベルだけど・・)名君だった人物です。何せ仕事を任せたら、一切口出しはしないのだから。凡人だったら、絶対に口出ししてしまいます(笑)。
1:28
甘夫人は史実で后になってたのに対して、糜夫人は徐州辺りから記録がぷっつり途絶えるからここでうまいことパスアウェイさせたんやで
この趙雲の後ろはいかなる敵も手を出せぬ処、そしてこの趙雲の懐はいかなる貴人も手を出せぬ処
暴君になるわけでもなく無理なモンは無理自分がよければそれでいいのスタンスで乱世生き抜いたのは凄いと思う
劉禅見てるとほんと歴史って現代の人が正誤決めるんやなあって、ヒトラーが英雄になってる未来も全然あるよね
正直暗君というよりは平凡だったんだろうと思ってる
政に関わるのに向いてなかったというか
民から見ていつ終わるとも知れぬ北伐にこだわる姜維と
さっさと降伏して戦いを終わらせ魏に下った劉禅とどっちが正義なのか
戦争から解放するという意味合いでは劉禅は良かったと思います 無理に長引かせずに民たちを楽にしたかなと
劉備が阿斗を叩きつけた時に打ち所が悪かったんだろうか。
劉禅は孔明の意思を一番に受け継いだ人物だと思うな。一番に家臣と民を思い、当時の現状を見抜いていたのではないか。
姜維の動画ありそう、面白くなりそう
正史後主伝では「その性質は染まりやすい白糸のようなもので、賢臣に支えられていれば賢君であり、逆臣に支えられていれば暗君となる」という評価も一応あると言えばある
ただ、孫皓は怪しいが劉禅については「暗君」の一言で片付けていいかどうか解りかねるんだよな
大体にして黄皓が劉禅に仕えた(事が窺える)のは諸葛亮死後の話で、そもそも諸葛亮が亡くなったあとも(蒋琬や費褘が頑張ってたのもあるけど)別に圧政を敷いていたわけでなく政情は安定していて、蜀を疲弊させたのはどちらかというと確固とした勝算もなく連年出兵してやがった姜維のせいだしなあ…
劉禅の子孫って曹氏、孫氏の子孫よりも長続きしている。お家を残すという事にかけては一番の成功者かも。
劉禅が反乱を残虐に討伐させたとか、遊ぶ金のために人民を害したとか、そうしたエピソードも無い。
乱世の皇帝としては落第でも、平時だったなら、それなりの評価はされたでしょうね。
なにより、40年の治世で蜀の領内において大規模な反乱が一度も起きてないのがデカいですね。
@@酔狂-i9o 劉備は在位はたった2年だからな。
後、諸葛亮が亡くなってから29年も経っている。
呉の無茶苦茶ぶりに比べれば暴君じゃないだけマシって気がする
「的確に他人を使う」というのは非常に難しい。
なぜなら、他人を使うためには「その能力を的確に把握する」必要があるからだ。
これを簡単に「人を見る目」と言うが、それは生まれつき備わっているような能力ではなく、
膨大な実体験の集大成としてのみ存在する。
基本的に、的確に人を使える人間は、やろうと思えば自分でもそれを実行できる。
そもそも、自分ができないことを、他人ができるかどうか判断できるわけがない。
そして、「いざとなったら自分でやればいい」という自信があるので、安心して人に任せられる。
それに対して「実力のない人間」は、自分で何も判断できないので、やたらと人に聞いて回る。
しかし、実体験のないことを「言葉」だけで理解できるわけがなく、常に不安で人を疑う。
この違いは、「失敗や問題」が生じた時に顕著に現れる。
的確に人を使える人間は、当然「失敗や問題」の原因を理解できるので、修正すべきは修正し、責任を問うべきは責任を問う。
その結果、組織の能力と信頼関係はどんどん向上していく。
それに対して無能な人間は、原因以前に「失敗や問題」の発生自体をよく理解できないので、ひたすら「隠す」。
その結果、その組織はどんどん腐っていく。
それでは、「ある仕事を一人前にこなせる人間は、的確に他人を使うことができるか?」と考えると、そうではない。
ある仕事を一人前にこなせる人間は多くて一割で、的確に他人を使える人間はさらにその中の一割にすぎない。
第一の理由は、ある仕事を一人前にこなすためには、必ずしもその「手順」を明確にする必要がないから。
一見優秀な人間でも、自分がどんな手順で作業しているか判っていない人間は多い。
教師になると、いかに自分が自分の仕事を理解していないかが判る。
第二の理由は、例え手順が明確であっても「複数ある」場合が多いから。
数学でさえ、一般的にある命題の証明法は複数存在する。
もし、他人が自分とは異なった手順を使っている場合、その手順で作業を実行可能かどうかを見極めるには、
自分の経験を超える能力が必要になるが、そのためには「手順の一般化」が不可欠。
「丸暗記」とか「体で覚えた」系の人間にはできないこと。
次に、他人を使う際の評価基準として「能力」と「誠実さ、善良さ」と「勤勉さ」のどれを評価すべきについてだが、
これは間違いなく「能力」で判断すべき。
そもそも、ある程度の勤勉さなしに能力を獲得できるわけがないので、能力がある人間は基本的に勤勉だ。
逆に、「ダラダラ残業や休日出勤をする人間」は、無能であるか、
それを隠すための「ポーズ」として勤勉を装っている場合が多い。
次に、「誠実さ、善良さ」についてだが、私の経験によれば重要ではない。
まあ確かに楽な仕事なら、誠実で善良な女の子のアシスタントとチームを組む方が楽しいが、
厳しい仕事になれば、性格悪いヤツや商売敵とでも組まないと終わらない。
特に三国志のような時代背景であれば、「誠実さ、善良さ」なんか二の次で、「唯才是挙」になるのは必然。
さらに、「有能でかつ誠実善良」なら素晴らしいが、これも無能を隠すためのポーズであることが多い。
また、「性格悪いヤツや商売敵」であっても、仕事が忙しくなると「悪いことをする余裕がなくなる」ので、案外問題が生じない。
「性格悪いヤツ」とか「商売敵」というのは、あくまで「平時」の関係であって、
緊急事態になれば普通にチームを組める。これも「有能」の証。
「的確に他人を使う」のに失敗した例としては、「諸葛亮と馬謖」の例が有名だが、
これは馬謖の「能力」というより「覚悟」の問題。
馬謖が「街亭の戦い」で負けたのは、「諸葛亮の命令に忠実でなかったから」とか、
「山に登ったから」とか、「王平と分かれたから」等、いろいろ言われるが、
やっぱり致命的なのは「戦場から逃亡したこと」。
戦場から逃亡するような人間を前線指揮官にすれば、軍の実力は半分も出ない。
「覚悟」を「能力」に含めるかどうかはケースバイケースで、
後方で参謀とかやってる分にはそれほどの覚悟は要らないが、
前線に出る以上「死んで当然」ぐらいの覚悟がないと務まらない。
馬謖にこの覚悟がないことを、諸葛亮も馬謖自身も判らなかったが、劉備には判っていた。
その眼力は、やはり劉備の実戦経験の豊富さから来るものだろう。
某無双界隈では昭x禅のカップリングがあると聞いてぶったまげた記憶がある。
正史を読まれてるわけではないらしいのでさらに驚いた。
あれだけこき下ろされても補完出来る人は出来る。
一流のプロレスラーはホウキとでもプロレスができるように、
一流の腐女子はホウキとチリトリをもカップリングする
スリーキングダムのちょっとおたおたしながら
丞相、ど、どうしたらいいか?という姿が多分真相だと思う
魏に比べて国力10分の1で国体を保ち
孔明やショウエン、姜維、の邪魔をせず誅殺しなかっただけでも名君だと思うわ
俺なら北伐継続か否かだけで胃潰瘍になるし、議論われる家臣の統率できる自信がない
実力がないならできるやつに任せられるのも能力だと思うぜ
統率50 武力15 知力40 政治45 魅力65 これくらいが妥当
故郷恋しくないわけないっじゃないっすか と言ったら
やれ! はいで暗殺されると思う
悪いこと言わないから、そういうゲーム視点はさっさと終わらせた方がいい。人間の個性はたった5つの項目で全て決めるものではない。こういう三国志考察ページには演義やゲームなどの虚構を切り離してコメントする人間の方が圧倒的に多い。だから趙雲に関してはファンの悲鳴しか聞こえてこない。
投稿者って実は劉禅のこと好きだろw
というより暗君とか暴君とかのダメ人間が好きそう(´・ω・`)
@@nuruosan4398 なるほど!確かにブーチョッチョもいじり倒していましたね!
好きと言うより、私を含むここのコメント投稿者の多くにとって劉禅という人物は、
「三国志に登場する君主クラスの人物の中で、最も自分たちと質的に近い人物と思われるので身近に感じられる」
からはないでしょうか。
曹操とか孔明とか司馬懿あたりになってくるとあまりにも「できる人物」すぎて、凡人にはかえって遠く感じてしまうと言うのはあるかもしれません。
三国志演義に限れば、劉禅がアホになった理由は趙雲にジェットコースターみたいに振り回された挙句、劉備に投げ捨てられたせいに違いない。
高い高いってするだけでも、赤ちゃんの脳にダメージを与えるっていうからなぁ…
まあ北伐は蜀の国是みたいなとこあるし、やらなくなったらなんで蜀やってるの?ってなっちゃうしなぁ……
劉禅はいわゆる普通、オーディナリーな人。太平の世なら、そこそこ優秀な君主となれただろうが、あいにく当時は乱世真っただ中であったため、暗君になってしまった…。その時の社会状況によって、トップに必要な能力は変わっていくのだ…。
何かの本で読んだが、東条英機も生真面目な役人タイプだったため、ある程度の狡猾さが必要な政治はうまくできず、おまけに時代は戦争中という非常事態時であったのもあり、首相の役割をうまく果たせなかったのではないかという話があるらしい。
こういう能力と時代が合わない人って結構多そう。
「名君なのになんで国を失ってるわけ?」って火の玉ストレートが飛んでくる以上、劉禅を名君というのは無理があるよな...
名君とまでは言わないけど暗君とも思えない印象です
晩年の孫権、司馬炎と比べると特に
こう言うこと言うが僕も父親が社長で親に期待されてるが自分に才能がないことが既にわかってるので辛いです😊
動画にはなかったけど劉禅の評価を下げた結構大きい要因は毛沢東の言葉もあるんじゃないかな?
なかなか奥深いですな
実は、人を見る目を養うことがいちばん難しいことかも知れません((+_+))
昔々、取引先の肉屋さんが 「肉の良し悪しは、カットして断面を見ればわかるが、面接者をカットして断面を見るわけにいかないから、人を観るのは難しい」と言ってた❗️
天地を喰らう2の井戸のシーンが意味不明だったが、原作があったのか
最後の劉邦との比較はナイスです。確かに劉邦と似た要素はあったけど、周りにいたのが張良韓信樊噲だったのか、黄皓だったのか、
という差につきますわね…(孔明や蔣琬らがいたころはそれなりに治世も機能していたあたりなんかも余計にその感を強くさせる感)
…しかし、こうやって考えると、劉禅の父、劉備が劉邦の末裔って奴、反劉備派がいうただの自己暗示、なんぞじゃなく本当だったのでは、という気が…
三国志には、漢の霊帝とか最終的に暴君になってしまう孫権とかいろいろいるから、劉禅が三国志最悪の暗君とまでは言えないのでは?
孫権なんて最悪な形でバトン渡してますからね 幼帝擁立に家臣虐殺、追放…
通説をわかりやすく伝える意義はわかるけど、英雄的魅力を備える人物でなければ無能扱いしたり酒飲むくらいで叩かれちゃうのはな。
どこからどこまで誰の功績にするか、共通の事業なのに好きな人物に評価が偏って嫌いな人物には与えなかったりといくらでも認知をコントロールできる。
20:24
実は消極的名君っていうのも結構いたりして…
助けようもない阿斗(なお最後まで助かって生き延びている有能)
まあ、あれっすよ 趙雲が夫人を連れて行かなかったのは、3人で逃げるより劉禅が生き残る確率が高いと思ったからっすよ……
蜀を40年持たせたのだから、凄いことだよ
司馬昭とのエピソードは、劉禅の芝居だとする人が昔から少なからずいますね。
暗愚でないと敵地では危険だ、と。
姜維も、黄皓だけが政敵じゃなく、諸葛瞻も黄皓派だし、後に剣閣でともに戦う張翼も姜維のやり方に反対してましたから、末期は「いい加減にしろ」って感じだったかと。
諸葛瞻も平地迎撃にこだわって、山間から出て来たばかりの鄧艾を見逃し、綿竹で一回勝っただけで鄧艾軍の跋扈を許す。
劉禅に限らず、蜀末期は人材がいなさすぎですな。
皇帝すら倒してしまうような人物の前で、芝居を打つほうこそかえって危険ではないかと・・・。
やったところで所詮バレバレですし。
劉邦は部下を自分色に染めたと言うところかな。
斉の桓公も政治は全て管仲に任せてひたすらその進言、諫言を聞き入れて覇者になりましたよね。
その管仲が亡くなってから君主としても国としても転落し、惨めな最期を迎えましたが…劉邦と劉禅の両方を体現した君主でしたね。
最後のところの判断は正しかったと思う。司馬昭の前で蜀を思って泣いていたのなら殺された可能性があるから。
糜夫人が井戸に身を投げたのは、きっと自分がいたら逃走する趙雲のじゃまになるからだよ。
そう思ったに違いない。そう思わないと唐突すぎるw
劉封の件もそうだけど、演義では描かれてない部分があるんですよね。劉備と孔明は演義程親密と言える関係じゃないみたいだし、荊州閥と益州閥の対立とか。
22:35 強いて言うなら、陳祗までは体裁は保ってたのだが…。
言うても蜀の兵力や物資を度重なる北伐で消耗させた孔明と
無血開城を決断した劉禅、マクロな視点で見ると劉禅のほうがマシという説もあり得る…かも?
スローライフ系異世界転生主人公
暗君というほど悪いことはしてないとは思うけどなあ。
ただ何にもしなかったのは確かだろうけど、有能な配下に全てを任せてただけって感じ。
まあ普通こういう主君だと配下に裏切られて禅譲させられてころされるのがオチなんだが、幸い劉禅はそうはならなかっただけ運がいいだろう。
こういう暗君ってイラストだとめっちゃ童顔で背の低い小太りだよね
あとニコニコして赤ら顔
劉禅は、歴史に残るような名君ではないし、確かに末期は宦官の言うことを真に受けて蜀漢を滅ぼす一因をつくったけど、「君臨すれども統治はせず」に近いスタンスで自ら国を乱すことはせず、時には北伐推進派と北伐反対派、荊州閥と益州閥の間を取り持つことで、呉や魏に比べて国政を安定させていた一面もあったのではないか(姜維と宦官の黄コウの間を取り持とうとしたときは的外れで裏目に出たが)
事なかれな一面もあるけど、権威と権力を分立させて、権力を握って政治を行うのは実力者にして、権威を君主が保持することで国を治めていくやり方は現代にも通じるものがあるし、言われるほど劉禅が暗君、無能とは到底思えない。
冒頭のイラスト(屋)が毒のない微笑みデブなのが劉禅のイメージよく表してる
知れば知る程、“劉禅”を嫌いになれない(笑)
劉禅は決して“暗愚”ではない!
“敵を欺くには先ず味方から”とはよく言った物
徹底的に“暗愚”を演じ、敵を欺き続けた“劉禅”程の“英傑”は中々居ないだろう
ならば、魏軍が侵攻してきたとき、黄皓の占いの結果を丸のみにして姜維に援軍を送らなかったために鍾会に漢中入りされ、陰平から山岳地帯を強行突破してきた鄧艾に綿竹で諸葛瞻率いる近衛軍が壊滅させられた際、南中あるいは呉まで逃げようとしたことについてはどのように評価すべきなのか。
それでも英傑と呼ぶべきなのか。